ファンレターを書くということ。

久方ぶりにお返事がきたからじゃないけれど、ファンレターの話。「誰かに手紙を書く、そして渡す」ということは非常に個人的でセンシティブでちょっとロマンチックなことだと思う。この時代に便箋に文章を書いて出すという物理的なことだけではなくて、もっと精神的な意味において。

なぜ書きたいのか?なにを伝えたいのか?
それは嫌でも自分と向き合うことになるし
どこが好きなのか?どうして好きなのか?
客観的にとらえる必要がある
書いた手紙を出すの?燃やすの?返信用の葉書は入れるの?
だれが何と言おうが決めるのは結局自分だ。

そもそも、我々と*1彼らの関係というのは、ある種不思議な・・・奇妙ともいえるもので、こっちは生年月日も出身地も血液型も好きな食べ物も苦手のなものも、飼っている犬の種類すら知っているというのに*2私の場合おそらく好きだと自覚した14年前*3からほぼ毎日その音楽・・・ギターの音色と声を聴いていて、君を気にしない日などないのに。
これからも彼らは雲の上の人で有り続け。私は永遠にお客さんで有り続ける。その一線を越えることは一生ない*4

ただそれに安心感を覚える自分も確かに居て・・・だってほら星明子ポジションというのは一番楽だから。勝手に見守ってて傷つくことは少ない。でも、いつの頃からか「こんなに沢山のものを受け取っているのに、なんで返せるものがないんだろう?」と思うようになりました。じわじわと、それはゆっくりと確実に。もちろんLIVEに行ったり、CDやグッズを買うのも立派な応援の仕方だけれど、でもこの溢れんばかりの気持ちどこにぶつけりゃいいの??
そんなときふと耳にしたファンレターという古風な手段。まだ当時は都市伝説が残ってるころ*5よし、これに乗らない手はない・・・って、ここまでの流れが自分がお手紙を書くのがさも得意なような文面になっておりますが、実は私は手紙を書くのがどちらかと言えば苦手。便箋を前に伝えたいことが多すぎて、途方に暮れてしまう。気が付けばありきたりな言葉が並び、間に合わせの言葉で埋め尽くされた死んだファンレターが出来る。違う、こんなんじゃない。もっと伝わる表現を探さなねば!と張り切れば大袈裟でちっとも自分の言葉じゃない出来そこないの酷い恋文が出来上がる。私の持っている語彙なんかで、表すことができるのかわからない。というか多分無理だ。言葉はいつも役に立たない。でも、今なら伝えるチャンスが残っている。

口に出せないぐらい好き、とか簡単に名前が出せないぐらい大事、とか。そういったことが人間にはある。

スロウハイツの神様に出てきたこの文章をいまだに手帳に書き写している理由は今もその気持ちを忘れたくないから。忘れてはいけないと思っているから。現在においてインターネットでなにかを発信しないことは=存在しないことになりがちだけれど、ブログやツイッターなんてやっていない、もちろんファンレターなんて書いたことが無い、という人のなかにもよっぽど深い愛を持っている人がいるはず。いや、絶対に居る。

そういう人に対して無理強いはしないけれど、ちょっと書いてみたらいいのにな。とは思う。別に好きだとか感謝だけじゃなくて、コレ聞きたいとかのお願いでもいいし、これは嫌だって苦言でもいいし。つまりはブログもそうなんですが、自分でまとめていく作業って自分自身で気が付くことが多くて、気持ちの整理をするちょうどいい時間になる。書くだけで出さなくてもいいし、出してもいいし。・・・と書くと格好良いけれど、実際は毎回「あなたに聴かせられるような綺麗な言葉が見つからなあぁぁぁぁいいいい!*6」って言いながら四苦八苦してるんだけどw
結局、手紙を書くという行為は、私にとって心を整える儀式のようなものになりつつあって*7、そういう一方通行ながら唯一の機会がこれからも末永く続いてくれるといいなと思ってる。なーんてことを、考えながらいつもファンレターを書いています(人´∀`)テヘ

いまなら、まだ間に合う。

*1:と、アナタも巻き込んでしまって申し訳ないw

*2:自分で書いててなんだけど怖いな…

*3:やっと半分だ。今気が付いた!人によっちゃ28年間という決して短くはない月日だものね。

*4:故に不可侵な領域に入り込もうとするひとを理解できないし、同時に強い懸念と憤りを覚える。

*5:役職のスタッフに渡すと返事が返ってくるってヤツw業務の妨げになるので現在はBOXに投函するよう指示が出ております。

*6:BGM:鬼束ちひろ

*7:だから仙台で「お手紙だけですか?」と聞かれたときにちょっとドキッというかザワッとした