旅をした人

生きることは死をみとることでもある。

旅をした人―星野道夫の生と死

旅をした人―星野道夫の生と死

アラスカを舞台に活躍した星野道夫(1952〜1996)の考察。
親しい友人になるほんのちょっと手前で彼を失った作家・池澤夏樹星野道夫の訃報に触れてから、彼がやってきた仕事を振り返り、彼の信念を語り、彼について講演し、そして何人かと対談し、死の意味を考え、しかし見つからず困惑し、遺してくれたものを慈しみ、悼み、考え続け、やがて少しずつ受け入れる。
それは、手に入る直前に起きた別れだったこともあって焦れた想いは片思いのように強い。

星野道夫は撮るべきものは撮り、語るべきことは自分で語った。
彼がやった仕事について補足することなど何もない。解説することだってない。

享年43。あんなにアラスカを愛していた男がロシアで死んだという不条理はどこへ向けたらいいか分からない怒りにも似ている。それが彼の遺したものによって必然であったことや、時間が経ることで少しずつ喪失の痛みを和らげてゆく。星野道夫という稀な才能を持った男の足跡・友人を突然亡くした池澤夏樹の慟哭、どちらの視点でも読める秀逸な文章。リン・スクーラーの著書と一緒に読むとベスト*1

自然はそれ自体が祝福である。地球の上に生きるものたちがいて、彼らの営みから風景が作り出される。そのことがすでに価値であり、善であり、喜びである。人もまた生き物だから、いささか道から外れてしまって不自然な生き方をしていても、世界を喜びとして受け取る姿勢はまだ持っている。そこへ戻ろうという気持ちもある。〜(略)〜星野道夫の写真の土台にあるのは幸福感である。一時的にせよ自然の中に帰った時の、絶対に揺らぐことのない幸福感。それが彼の作品の中にそっくり写っていることを、ぼくたちは喜ぶ。

純朴でやさしい言葉が並ぶ星野道夫の文章に対して、池澤夏樹は理屈っぽくてロマンチック。つまりは真逆にあるような文章。志半ばで去らなければならなくなった時にこの出会いがあったことは幸福だと思う。運命という言葉で逃げたくはないけれど、なにかに導かれているような出会いではある。偶然か必然か、いくつものIfを考える。

悔やんでもしょうがないが悔やまずにはいられない、
いつまでも「旅をした人」ではなく「旅をする人」であって欲しかった。

*1:

ブルーベア

ブルーベア

アラスカのガイド、そして盟友。星野道夫の文章は大人になればなるほど心に響くエッセイだけれど、彼に惹かれた人たちの文章を読むとまた違う角度からその良さが分かるから好きだ。