インパラの朝

ワイルドだぜ。

インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸 684日

インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸 684日

印象的な題名、美しい表紙、そして中身は痛快な旅行記でした。
この物質的に恵まれた国、日本に住んでいると一歩踏み出すためのハードルは数え切れないほどある。深夜特急を読んだ中学生の私は「あぁ、男に生まれていれば」とその時は思ったけれど、たとえ男に生まれていても、私はバックパッカーにはなれなかった(ならなかった?)だろうと思う*1。ただ、女であることが不利なのは紛れもない事実で、だから私は自分に出来ないことを楽々とやってのける勇気ある人を盲目的に尊敬している。もちろん、2ヶ月前から旅を始め今はベトナムを往く友人も。

著者の中村安希さんは26歳の春に180万をもって2年間アジア〜中東〜アフリカの旅へ出た。26歳と言えば沢木耕太郎深夜特急の旅をはじめたのと同じ年に当たる(正直なところ出だしの26歳の春、冷蔵庫を売り払って〜あたりの記述はとても既見感があった)沢木耕太郎があくまでディティールを重視した自分の旅行記とするならば、どちらかといえばこの旅行記小林紀晴が書いた人のいる旅行記に近い。小林紀晴がその場にあるものをそのまま出してくる素材派だとすると、この本はそれを自分の中で消化してから文章にしたような本。そしてひとつひとつのエピソードがとても簡潔に客観性を保ちながらエッセイのように透明感のある文章で書かれている。あくまで今の自分の目を通してみたもの、感じた事が率直に。

ひとつ特徴的なのはそれが過剰なまでの「強さ」を持っていることだ。
国境を越えるために2度の結婚をすることなんて朝飯前。怪しげな賭博師と愉快な昼食、鉱山に招かれたと思えば、ネパールで高僧に接見する。慢性的な下痢に悩まされる中インドの医者の卵に助けられ、ナイフで爪を砥ぐふりをしながら威嚇し、歯痛のマッチョマンにバファリンを施し、見知らぬ人の善意に迎えられ、トラックの荷台で意識を失う。
かなり際どい。でも、もっと踏み込めたところもあるんじゃないかと思う部分もある。しかし、旅人にとってはそんなのただの結果論でしかなく、無事に帰ってこの本を書き上げたことのほうが大切なんじゃないかとも思う。紛れもなくインテリジェンスなんだけどユーモアも持ち合わせてるからイヤミにならない。私は本の気にいった部分をノートに書き写しているのですが、この本はずいぶんと長文を書き移すことが多かった。

支援する側と支援される側のジレンマはこれの表題作を彷彿。

風に舞いあがるビニールシート

風に舞いあがるビニールシート

沢山あるのだけど、一番凄いなーと思ったのは・・・のはジンバブエの章。

スーパーインフレが起こっているジンバブエでは、米ドルはなによりも確かな価値となる。日本円にして4円でパスポートを発行し、フランス料理のフルコースは400円。そんな貨幣の価値が崩壊した国で調子付き、ついに暴漢に襲われる。それの締めの文がこれ。

「カネを手にした人間は、何だって自由に買う権利がある」私はそう信じ込み、自らの特権を振りかざした。それは私が持ち込んだ異質の暴力性であり、庶民に対する挑発だった。男は拳で応戦してきた、肉体的な暴力をもって私の顔面に制裁を加えた。もちろん、身体的な暴力に私は負けたわけではない。ただ、積み上げられた札束を前に、私の貧しい精神は脆くも破れ去ったのだ。

自らの旅を金持ちの道楽と自嘲し、そしてこの冷静な考察。しびれちゃうねー!*2


読み終えて、ひどく聡明な女性という印象を受けた。
そして、タフで聡明で行動力の女はあるタイプの人にとっては羨ましく、妬ましく、煩わしい存在、つまり敵も多いのだろうな・・・とも思いながら本を閉じた。


今年は(自分のなかで)中東あたりの旅行記がヒットちう。

*1:もし明日、200万の現金と2年の休暇を貰い英語がペラペラな能力を授かったとしても世界へ旅立つぞ!とはおそらく思わない。せいぜいJTBで興味のある国のパンフレットを貰って旅行の計画をちょっと組み立て、後の残り時間はだらだら過ごすような気がする。

*2:自分だったら何を書けるだろうかと己に問えば、きっと単純にジンバブエで遭った危ない話にしかならないだろう。