Walking the dog

「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」を読みながらつらつらと考えていたこと、それは犬と一緒に歩くことには双方の関係を築くうえで大きな意味があるんじゃないかということ。

犬という動物は、昔からどの動物よりも人間の近くにいて、その役割は番犬、猟犬、牧羊犬と様々な場面で人を支えてきた。・・・「むかしむかし」ではじまる桃太郎で最初に仲間に加わったのは犬で、粗食に耐え、外敵から財産を守り、なによりも寡黙でありながら忠実、つかず離れずの距離感は旅の相棒にぴったりな様子。

戦禍のアフガニスタンを犬と歩く

戦禍のアフガニスタンを犬と歩く

ローリー・スチュワートとバーブル(ゴール産マスティフ)アフガニスタンの徒歩横断中に偶然出会い、なりゆきで一緒に旅をすることになる。名前も無い、人から撫でられたこともない不浄なる動物「犬」を連れたイスラムの旅。
ドイツ・遙かな僕の道―無一文で放浪200日

ドイツ・遙かな僕の道―無一文で放浪200日

ミヒャエル・ホルツァハの相棒はシェルターで出会ったフェルトマン(ボクサーMIX)東西ドイツに分かれていたこの国をこちらも徒歩で進んでゆく。ジプシーや社会的弱者との距離が近く著者の年齢も相まってジャーナリズムと熱いパッションに溢れている。こちらのラストも一筋縄ではいかない。
ベリンダの冒険―馬で駆けたスペイン‐パリ1700マイル

ベリンダの冒険―馬で駆けたスペイン‐パリ1700マイル

前出の男性陣が徒歩ならば、イギリス人女性のベリンダ・ブレイスウェイトは馬に乗って用心棒のボリス(ドーベルマン)とスペインからパリまで過酷な旅に出る。訓練所で身の置き場のなかったボリスはなかなか気難しい奴(でも頼りになる)21歳の瑞々しい感性はとても自由だ。


どの本にも共通しているのは、旅先で仲間に加わった犬が旅を続けていくうちにどんどん調和が取れていくような印象を与える点。使い慣れたトラベラーズ・ノートのように、履き潰したドクター・マーチンのように、馴染む。それはきっと目に見えない絆みたいなものなのかもしれない。一緒に歩くことは「群れ」を連想させるからかもしれない。

犬とひも一本で繋がって運動するのが大切。
ひもを通して心をかよわせる 一緒に体を動かすのが一番いい。それが自然の生活。(澤田石守衛)

本当にその通りだとおもう。

今は小型犬全盛期だとかで家からほとんど出ない犬も多くいるらしい。買ったときに「散歩はいりません」なんて言われちゃったりするそうだ。散歩と排泄時間は混同されがちだし、郊外の大きな家では庭に放つこと=運動と思いこんでいる家も多い。自由に走り回れるドッグランは楽しいし雨の日のトレッドミルも便利・・・それでも散歩の力は大きい。時間もかかって神経も使うけど。手間だし疲れるけど。
リードと首輪があればいつでもどこでも誰でもできる。地味。だからこそ手抜きはしない。

同じ道を歩いて、同じ景色を見て、一緒にくたくたになるまで歩いて*1、家に帰って大の字でおひるね。だいだいの不機嫌はそれで消えてゆく。犬も人も。単純かつありふれた日常という幸福のひとつ。

犬と共に歩くこと。それは太古の昔から繰り返されてきた最も原始的な犬と人の行動なのかもね。

*1:もちろん大型犬やパピーはケースバイケース