哲学者とオオカミとケーラー・メゾット

非常に読み応えがあります。

哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン

哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン

久しぶりにワクワクしながら本を読んでいます。哲学者と狼の生活。
一匹の子狼を(たぶん違法な)繁殖者から購入した著者。彼にブレニンという名前を与え、大学の講義、講義の後のラグビー、買い物へだってどこにでも連れてゆく。そしてブレニンという存在を通して「人間とはなんなのか」という哲学的な問いをニーチェクンデラホッブズを引き合いに出しつつ検証してゆく・・・なーんて書くと小難しい本に思えますが、単純に読み物として面白い。
ちょっと抜き出すとこんな感じ

オオカミの時間は線ではなくて、輪なのではないかと思う。オオカミの生涯のそれぞれの瞬間は、それ自体で完成している。そして幸福は狼にとっては、同じことの永遠回帰に見出される。時間が輪なら「二度とない」はない。したがってオオカミの存在は〜

狼との生活だったら、ヴェルナー・フロイントや平岩米吉の著書などでも窺い知ることが出来ますが、この本面白さはまさにこの哲学との融合にある。少しづつ読んでいるのでまだ読み終わってないけれど、訓練の場面で興味深いものがあったのでメモ。

  • ブレニンを訓練させるにあたり参考にしたのはケーラー・メゾットの訓練方法。リーダーウォーク、チョークチェーン、投鎖などで一緒に歩くこと、読んだら戻ることを教えた。

ケーラー・メゾット?

犬も平気でうそをつく? (文春文庫)

犬も平気でうそをつく? (文春文庫)

非随伴的懲罰に効き目があるとする人たちもいる。その一人が1950年代から60年代にかけて活躍した犬のトレーナー、ウィリアム・コーラーで彼の記事を読むと私は今でもぞっとしてしまう。コーラーはウォルト・ディズニー・スタジオで動物のチーフ・トレーナーを務め、軍用犬部隊で指導も行っていた。
家に帰った時あなたの犬が庭に穴を掘ったのを見つけたら、まずその穴に水を入れる。犬に訓練用のカラーとリードをつけさせ、穴まで引っ張ってきて犬の鼻を水中に突っ込む。犬が溺れそうになるまでじっと押さえつける。この恐怖体験を自分たちが掘り返した土と結び付けて記憶する犬はたくさんいる。
これほど残酷な方法が行われた場合は条件づけられたマイナス感情があまりに強烈なため、飼い主と犬とのきづなを弱めることになる。こんな無慈悲な扱いをされたら飼い主の手と触れ合うのを避けるようになるはずだ。結果それまで正常だった犬が、恐ろしい噛み犬に変わってしまう。

おそらくこの人のことで間違いないかと。
私はスタンレーコレンが大好きなので、なんか聞いたことのあるエピソードだなぁと思い出して何冊かペラペラ流し読みしたら当たり。マーク・ローランズもこの段落の中で花壇の古典的条件付け、ドミナンス・コントロールについて精神病質で行きすぎと批判しております。

で、そのケーラーさん調べてみたら意外と近いところに・・・

三匹荒野を行く [DVD]

三匹荒野を行く [DVD]

の動物訓練をしてたみたい。なるほど、それなら合点がゆく。
強制訓練と言うのは大きなリスクがあるので、ブレニンがこの方法を取り入れ生涯の自由を手に入れたという事実はただ幸運だったとしか言いようがない。早い話、代わりが利く犬がいることが前提なんですよね。犬を壊しても辞さない方法。もし仮にブレニンが潰れてしまった時「早々に次の狼に取り換える事が出来る」という場合のみ使える方法。
もちろん

  • マークローランズが思慮深く、謙虚でありながら、常に情報を疑い冷静に自分の頭で考え方法を取り入れていたこと
  • ブレニンの性格がそれに耐えられる耐性をもっていたこと(私は狼の学習についての経験はもっていませんが、文献を見るに相当シャイ気質だと思う)

という土台があってこそのラッキーだけど。

で、そのコレン先生が言う訓練のコツ。

なにをすべきかヒントも与えず、あやまちを何十回も罰するよりも。一回正しい反応を捉えて、それを報酬で強化する方が、はるかに効果的で時間がかからず、あなたにとっても犬にとっても気分がいいだろう。

で、この考え方と言うのは

犬と話をつけるには (文春新書)

犬と話をつけるには (文春新書)

盲導犬訓練士、多和田悟さんの教え方。「NO教える、YES教える」と同じもの。



犬の(この場合はオオカミ)の学習理論というのは学べば学ぶほど面白い。