渚園の話

なんて素敵な渚園

この頃、やけに渚園の記事が読まれているなーとは思っていたのですが、今月ワンオクさんがライブやるそうで!
渚園へ行ってきた。 - 本当に自由な休日
これは10年後に再訪した時の話なので具体的なことは書いてなくて、あまり役に立たずせっかく来ていただいたのに申し訳ない。

今から13年前、まだブログも主流じゃなくてホームページや掲示板(!)の時代。参考になるかわかんないけれど、せっかくだからあの時の思い出話でもしてみよう。

B'zが最初に渚園でコンサートをしたのは1993年。…にじゅうさんねんまえw今月でめでたく52歳を迎えるボーカルのイナバコーシ君がピチピチの20代だった頃。B'z5周年のお祭り的なライブとして開催されました。

LIVE RIPPER [DVD]

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時は過ぎ2003年。
15周年記念として選ばれた場所は静岡・渚園。私が参加したのはこちらの2回目の渚園になります。
なにが凄かったかというと台風が直撃したという点に尽きるよね。うん。

前半はベストライブ的なホール公演、後半はドームでのアルバムツアー。その合間に北米ツアーまでぶち込んでまぁなんと忙しい1年。
ツアー発表時にはデビュー日9月21日は関東近郊としか発表されず、つまりはいろいろ調節が大変だったんじゃないのかな。ファンクラブでは後半の東京ドームが当選していたワタクシ、当初は「静岡ってどうやっていけばいいのかわかんないしー冬まで待てばいいかなー」なんて思っていたのに、ファンになりたての情熱というのは凄いもので、だんだん公演が近づくにつれ「Pleasure1回ぐらい行ってみたかったな」「土曜日なら行けなくもないかな」「行くか…」「行っちゃうか」「行かねばならぬ」「どうしても行きたいんじゃ!」となったのでした。

9月、それは台風シーズン。台風がいくつか発生しては去っていった。逸れてくれることを祈っていた*1。直前の予報はかなりドンピシャな予感がするけど、8000円のチケットはイープラスで既に入手済み、ついでに大してファンではなかった友人まで一緒に行くことになった。もう覚悟を決めるしかない。心配していた往復の足は父にお願いして車で浜松まで送ってもらうことになりました。浜松に着いたら既ににどんよりとした曇り空、コンビニでパンとペットボトルを購入して電車で弁天島へ向かう。そこら中に178ナンバーの車とツアーTシャツを着ている人であふれ、緊張状態で落ち着かない。なんだか大人の人ばかりで自分がひどく場違いに感じた。今日これからB'zを見れるんだという実感がわかない。
駅からの大行列はノロノロとしか進まないけれど、人波にのって会場へ。途中の民家が門の前で串焼きとかペットボトルを売っている…お祭りみたいだ。しとしとと小雨が降る中ようやく入場ゲートにたどり着いた。チケットを確認してみると14時開場17時30分開演となっているから、おそらく2時過ぎには会場に着いたんだと思う。入場ゲートでチケットをもぎってもらい、先へ進む。ぬかるんだ地面には滑らないように赤いマットが敷かれていたけれど気休めにもならない。渚園のライブはブロック指定、会場の座席表をみながらどこだろう?と思ったら目の前のブロックが自分のブロックだったw
それからは待つ。冷たい雨の中、ひたすらに待つ。

Kブロックまであったのか…ホント物持ち良くて嫌になるw
本当はタオルとかのグッズを現地で買おうと思っていたのだけれど、長蛇の列すぎてとてもそんな余裕もなくなる*2。仮設トイレも凄まじい列だ。買ってきたパンをかじりながら修行のように耐える。一番後ろでは飲食関係のブースの人が暇そうである。イッツショウチュウタイム!ってそのセンスいかがなものか。ブロックに人が増えると傘も禁止になった。

LIVE自体については私みたいな者がどう言葉を尽くそうが語りきるのは無理なので止めておきますが、私のブロックからB'zのふたりはミジンコぐらいのサイズだった。ライトが当たっているのを見て「あぁあそこにどっちががいるんだなー」というのが分かる感じ(笑)センターステージすらむちゃくちゃ遠かった。でも、それでも楽しかった。全部のイントロにワクワクした。ど派手な演出にビックリした*3。1回目というのは誰にとってもトクベツで、それは別に渚園である必要はなかったのかもしれない。そうなのかもしれないけれど、とにかく凄くて圧倒されて感動した。
↑というのは気持ちの部分で。
体力的にあれほど生命の危機を感じたライブは皆無で、zeppで意識失いかけたり、脱水で死にそうになったりしたことはあったけれど「ここで倒れたらどうなるんだろう」という気持ちがあんなにリアルだったことはない。ふやけてしわしわになった手は振り上げるたびに水鉄砲のように水滴が飛んでゆき、ぐっしょりと水を含み重くなったジーンズ、プカプカする靴、震えがとまらずガチガチいう奥歯、風が昼から雨に打たれ続ける我々に吹き付け体温を容赦なく奪ってゆく…次々と担架で運ばれていく人を横目にしながらの究極のサバイバルw
終わらないで欲しいような、早く終わって欲しいようなよくわからない思考。オツカレーのあと打ち上げられた花火を見ながら謎の達成感を味わう。エンディングSEは眩しいサイン、ひたすらに眩しいサイン、狂おしいほどに眩しいサイン。ムツゴロウの生息しそうな渚園で聴いた眩しいサインは一生忘れない。忘れられない。

そして、ライブが終わって終わらないのが渚園
最後に残された重大なミッション・・・そう、それは帰宅。5万人が集まって、最寄り駅はひとつ。JRの増発もたかが知れている=規制退場。これに引っかかりたくなければアンコール前に抜けるしかない。最後まで見ておきながらさっさと帰るなんてファンとしてのマナーやモラル以前に人の道に外れちゃう。後方ブロックの利点は退場が早い点、それでも眩しいサインがトラウマレベルということは、Aブロックの方はあの曲をどれぐらい聞いたんだろう。。。往路よりもずっと遠く感じる駅へゾンビのような人々と共に移動*4、すし詰めの電車で浜松へ帰る。疲れ果て、一刻も早くお風呂に入って暖かい布団で寝たいと思っていたのに急に今日1日菓子パンしか食べていないことに気が付き、うなぎではなく焼肉を食べておうちに帰りました。

・・・・ってこれ渚園のハナシじゃなくてただの私の行動記録じゃん!
渚園、行って良かったなーと思う点は、それ以降に出会う何人もの人と記憶を共有できたこと。だらだら書いておいてなんだけど、これはあくまで私のパターンに過ぎない。
台風で飛行機が飛ばず空港でひたすらにキャンセル待ちをしていたという人、
携帯をトイレに落としたという人<しかも複数人w
千葉マリン↓よりキツかったという人、

雨男っすから
それぞれ、5万通りのエピソードがある。
これもまた随分と昔の話、稲葉さんの寄稿文に「津山という響き」という文章がありまして、ウルトラ雑な要約すると「日々のあわただしい日常の中で津山と声に出して言ってみると自分を改めて再確認する」的な内容だったと記憶しているのですが、私の中で渚園という響きはそれに近い。
過酷で、楽しかった場所。はじまりの場所、渚園
さて、今日は渚園のDVDでも見ましょうかね。

*1:なぜかラジオを聴いていた記憶があるんだけれどなぜだろう?

*2:そういえば、我が家に渚園観戦セットなるものがあるんだけれど、これどこで買ったんだろう…

*3:特に音響さんは大変だったと思うよー

*4:警備も人も大変そうだ