太陽の坐る場所

誰もが互いの背景の一部で 孤独さえも華やかに引き立てる

太陽の坐る場所 (文春文庫)

太陽の坐る場所 (文春文庫)

同い年のスポーツ選手や芸能人やミュージシャンをTVで見るとなんとも言えない気持ちになる。単純に凄いなーというのとはまたちょっと違うなんとも表現しにくい感情。そんな気持ちをふと思い出したおひさしぶりの辻村深月。あれ、このヒトこんなに怖い話書く人だったっけ…と思いながらの読書。

高校のクラス同窓会を発端に起こるたわいない計画。ひとつの計画を複数の視点で追う群像劇・・・なのですが、それぞれの思惑が絡み合う。学校を卒業してもスクールカーストは終わりにならず、各々がある程度そのキャラクターを演じ、意識しようが無意識だろうがお互いを値踏みしあい、体裁を取り繕い、牽制し合う。打算的なあざとさを持ち合せる。謙遜しながら必要以上に見栄を張る。そういう、ドロドロとした腹黒さはリアリティがあるけれど小説に何を求めるかによって好き嫌いは分かれるだろうなー。辻村ワールドって世界感がしっかりしてるから入り込めないとそのまま内輪トークみたいな冷めた感じになっちゃうんだよね。逆にハマるとどっぷりですが。
それにしても、このギリ20代の同窓会という舞台がなんたって秀逸。卒業から約10年経った高校のクラス同窓会はそれなりの仕事をこなす人、家庭に入る人、変わらずふらふらしてる人・・・本当に様々。ほんのちょっと前までは同じ教室で同じ景色を見ていたはずなのに、まったく違う世界に居る。歯を食いしばって場所を手に入れたという自負とほんのちょっとの満たされない感じ、そういう微妙なニュアンスを切り取るのが本当に巧い。

繊細な心理描写にばかり気を取られてしまったけれど、叙述トリック&過去の事件という読ませるミステリー要素はさすがなのよ。ただ、色々盛り込みすぎてとっちらかった感はあるかも。

ネタバレ↓




紗江子の章の最後といい、
由希のばあちゃんのもとに走るシーンといい、
辻村作品のラストに現れる感情がやたら揺さぶられるシーンはなんなんだろう。

こういうヒリヒリした感覚を求めてこの人の小説を手に取るような気がする。
・・・読みたいんだけど読みたくない(でも読んじゃう!)みたいなw