犬と私の幸せ。+ジンジャー

自分の犬と飼い主の関係というのはそれ以上でもそれ以下でもなく完結しているはずなのに、そこに第三者が入ってくると色々とややこしいことになりがち。それはそこに利害関係が絡んでくるからなんだろうけど、やれ「これは動物虐待だ」やれ「こんな飼い主に飼われた犬は可哀想だ」「犬のことを知らない人だ」「飼う資格がない」「不幸だ」「ストレス」エトセトラエトセトラ*1確かに7色になっちゃってるプードルやらパンダ模様のビションと会っちゃった日にゃ苦笑しちゃうのもしゃーないが、それでもきっとポリシーがあるんだから迷惑をかけられていない限り*2他人がどーこーいうべきじゃない。

最終的に、どんなしつけメソッドを使うのか、どんなご飯をあげるのか、どんな目的を持って、どんな生活を送るのかは他でもない飼い主、つまり自分自身がジャッジすることで、他人のご意見はあくまで参考にしかならない。ヒステリックな過剰おしつけクレーマー様には貴重なご意見ありがとうございました、では!お引き取りくださいませませ。とうまくかわすのも重要な技術。*3

結局のところ大事なのは「信号ばっか見てないで自分のセンス磨いてちょうだい」ってこと。

私自身は「自分がもしの犬の立場だったら」が判断基準。
ジンジャー?もちろんアリ。だってすごく楽しそうじゃない、この家庭。

*1:とくに虐待・残酷・時代遅れなどの刺激強めフレーズとカワイソウ満載の愛護感たっぷりフレーズは大変周りに共感を訴えやすいワードなようで大変香ばしい

*2:ルールを守ることは大前提。畜犬登録、狂犬病ワクチン、住宅街の無駄吠え、ノーリード、フン放置、適正飼育、終身飼育、、、その他環境に応じて

*3:と言っても他人の指摘によって今まで気にも止めなかった部分を意識することもあるのである意味においては有難い部分もある。自分がなぜそこにこだわりを持つのか?の何故の部分を突き詰めさせてくれる。だから、要は肥やしにしちまえばよいのだ。きっと、大切にしているものをより大切にできる。・・・がそう考えられるまで長い年月を要する場合もある